2026年4月19日、山口県防府市内で開催された最終総会をもって、中国航空協会(略称CAS )は58年の歴史に幕を閉じた。1968年(昭和43年)3月31日、広島GCと山口県GCが合併して、旧広島空港でグライダーのお披露目飛行を実施したのがCASの始まりだった。その後の活動場所となる防府飛行場では、

翌年6月1日に萩原式H-23C(JA2043)で初飛行を実施した。初代会長は広島大学教授勝盛豊一、副会長は我が国滑空界にその名を残す小田勇、二代目会長は鈴木照男が勤め、その後は活動休止まで廣政和男が三代会長を務めた。廣政会長は、2年前に自衛隊側からの活動停止要請を受け、2024年11月17日をもって飛行活動を中止し、断腸の思いで、その後1年かけて機体や諸設備を基地外に撤収するという難題に会員の先頭に立って立ち向かい、撤退期限の今年3月に無事完了した。
58年間、中国地方で唯一ピュアグライダーのみの運航を続けてきたCASは、華やかさはないにしろ、地道に多くのローカルグライダーパイロットを育ててきた。自衛隊飛行場での運航という特殊性ゆえの利
点もあったが、活動日が日曜日に限定されるという大きな制約もあった。そんな条件下、この58年間にCASで活躍した機体は14機。飛行実績は、記録の残る1972年以降の累計では15,861発、2,838時間57分となっている。ローカルなクラブではあったものの、1977年のエストレラ遠征を皮切りに、ほぼ隔年ペースで海外遠征者を出すようになり、CAS50年史からピックアップしてみると、延べ43回、66名が、オーストラリア、米国、NZに遠征している。地方にありながら、それなりに海外の新しい風を知ろうと努力して来たとも言えるだろう。とりわけ第3代会長は、オーナー機を置いたトカムオールで毎シーズン3か月は滞在してフライトを行ってきた。このことは今後も継続することだろう。
GJの前身、JSA InformationにCASの記事が初めて掲載されたのは第13号のことで、「西の空より」と題して活動の一端が紹介されている。執筆者は二代会長鈴木照男と思われる。筆者自身、JSA会員となって以降、多くの記事や写真をこの機関誌に投稿して来たし、市川明夫氏との共訳「XC Soaring」の翻訳版を出版できた

ことで、微力ながらも我が国滑空界に貢献できたのではないかと思っている。
最後に、日本滑空協会の今後益々のご発展をお祈りし、同時に今までCASをサポートしていただいた皆様に心から御礼申し上げて、CAS解散のご挨拶としたい。本当にありがとうございました。( 古谷眞之助 記 )
